ユキ、お前、俺のこと好きなの?俺の鼓動がそう叫んでる。
三十年ぶりに戻った故郷、父の葬儀でマコトが手にしたものは、かつて野球と共に捨てたはずの「赤いグローブ」だった。後悔を抱え歩く土手道、冷たい川風の中で、かつての憧れだった少女・ユキと再会する。彼女の変わらない笑顔が、マコトを三十年前の記憶へと連れ戻す。長い空白を埋めるように寄り添う二人。ある日、ユキの口から衝撃の過去が告白される…
#エモチックロマンス
#誘ってくれるの?今でも?
#広ヒロスケ

誘ってくれるの?今でも?
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「兄貴、色々ありがとう」
俺の肩をつかんで、弟が言った。
「オヤジは、良い人生を送ったと思うよ」
「そうか」
「お義兄さんが送ってくれたお金で、私たち、すごく助かってました。今まで、本当に有難うございます」
義妹が、恭しく。
「いや、それは俺のセリフですよ、ありがとう。最期までみてくれて、ありがとうございます」
静かにうなずいた弟の背後に、野球のグローブが見えた。色褪せた赤いグローブ。俺が中学の頃に使ってたものだ。
「まだあったんだ、コレ」
「ああ、それ、オヤジが時々使ってたよ」
「オヤジが?」
「河川敷横にあった工場が潰れてね、跡地がグラウンドになったんだ。綺麗なもんだよ。そこで少年野球をやるようになってからは、よく行ってたよ」
「そうなのか」
「そのグローブ持ってさ。子どもたちを教えてた」
「そうか…」
昨日は、父親の葬儀だった。斎場で何もかも一度で済ませた。弟、奥さん、俺の三人で送った。
父親と俺は、相性が良くなかった。進学で家を出て、とうとう三十年、一度も戻らなかった。愛してなかったわけじゃない。育ててくれたこと、感謝してたし、真面目に働く姿に尊敬もあった。だけど、どういうワケだか、一緒にいると、衝突した。
離れて暮らすことで、塩梅の良くなる親子関係もある。稼げるようになって、仕送りだけは欠かさなかった。それが俺にできる唯一のことだった。
弟が、時々、メッセで様子を聞かせてくれた。その知らせで充分だった。達者でいてくれるなら、それで良かった。
「このグローブ、もらっていいか?」
「もちろんさ、アニキのもんだろ、持って行けよ」
「ああ…」
三十年ぶりの故郷を歩いた。何もかも変わった。こんなに小さな街だったんだな。商店街、驚くほどに寂れてる。
黄色いテントの肉屋はまだやってる。高校からの帰り道、ここでコロッケを買って食べた。油の甘い香りをかいで、一気に、あの頃へと連れもどされる。
サッカーに明け暮れた。当時はまだJリーグもなく、今ほど注目されるスポーツでもなかった。中学までやった野球を辞めて、サッカーに転向した。父親への反発だった。
「息子に自分の夢を押し付けるなよ」
そんな思いからだった。オヤジの落胆は大きかった。小さな頃から俺に野球を教えてきた。
「お前は良い外野手になれる。プロも夢じゃない」
それが口癖だった。
厳しい指導が嫌でたまらなかった。束縛も感じてた。自由が欲しかった。野球を捨てた。それは、父親を捨てることでもあった。
それ以来、まともに話すことが出来なくなった。高校時代、心の中は、いつもメチャクチャだった。野球中継を見る親父。その丸い背中を見たくなかった。
携帯に着信。娘からのメッセ。
<お葬式どう?>
娘は、母親に似て、無神経極まりない。葬式がどう、とはなんたる言い草か。
<終わったよ、何事もなく>
しばらく後、既読になった。
娘との関係は、俺と父親のそれにそっくりだった。一緒にいると、具合がよくない。お互いの些細なことが気に入らない。離れているほうが、気楽な時間を過ごせる。
娘が家を出て、もう何年だかもわからない。アイツは一度も帰ったことがない。どこで何をしているのか、一人なのか、誰かと一緒なのかもわからない。時々、メッセを送ると、既読になる。それで、生きてることがわかる。返事はよこさないが、それで良い、充分だ、生きていれば、それで良い。
娘の母親との結婚はすぐダメになった。
離婚は簡単だった。お互いに、離れたかったんだ。スパッとしたもんだった。実の娘とさえ連絡をとっていないようだ。あの女とは、もう二度と、会うこともないだろう。
しばらく歩いて、街の匂いを味わった。高校時代の通学は、歩きだった。一時間ちょっとの道のり。かつての通りを、記憶をたどりながら、ゆっくり進んだ。
よく行った喫茶店、無くなってる。テーブル筐体のシューティングゲームにハマってた。本屋、やっぱり潰れてる。立ち読みしては、店主に煙たがられてた。エロ本でも良いから、たまには買っていけよ、と。
また着信。仕事の連絡、社員からのショートメッセだった。
<社長、先ほどデバッグが終わりました。問題ありませんでした>
<OK、先に進めてください>
時々、自分がわからなくなる。仕事上での人間関係は極めて良好だ。笑いあい、励ましあって、働いてる。こんな俺にも、そういうことが出来る。しかし、もっとも親密であるべき家族と向き合うとき、息苦しさに襲われる。俺は、病んでるのかもしれないよ。
歩く。
自転車屋が目に入る。時々、ここのオッちゃんにパンクを修理してもらった。シャッターが半分まで降りた店先。営業中かどうかも、分からない。それは、昔からのことだった。
耳を澄ますと、中からラジオが鳴ってるのを感じる。屈んで中をのぞくと、誰かと目があった。真っ白な髪の老人。燻んだ赤のアウトドアチェアに深く腰掛けてる。オッちゃんだった。歳、取ったな。そりゃそうだ、ずいぶん経つんだ。
俺が分かったのか、オッちゃんは、指を目元まであげて、サインを送った。こっちも軽く応えたが、すぐに目を逸らして、ラジオに戻った。いつもあの椅子に座って、野球放送を聴いている。三十年、変わらずに、そうやってるんだね。
さらに進むと、グラウンドが見えてきた。弟の話し通り、美しく整備された野球場だった。向こうにはテニスコートが何面かある。あと、陸上トラックも。夕陽が斜めに差しこんで、辺りをオレンジ色に染めている。
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