彼は私のオトコ

 念の為よ、あくまでも念の為に、告られる準備はして来たのよ。日曜日の夜から念入りにパックをして、肌を入念にもみほぐして来た。お陰で乳液の入りの良いことったら、驚くほどだったわよ。

元カレに自尊心を粉砕された過去を持つ二十九歳のマナは、自分を感情のないお人形とみなして生きてきた。ある日、自宅ポストに届いた一通のラブレター。送り主が誰かもはっきりしないまま呼び出された屋上にやってきたのは直属上司のイチロウだった。

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彼は私のオトコ©︎広ヒロスケ Amazon Kindleストア99円 Kindle Unlimited対応

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 自宅ポストに封筒が入ってた。

 土曜日の午後、スーパーでの買い物から戻ったところだった。宛先には、手書き文字で私の名前が書いてある。

 手紙?

 え、誰から?

 裏面を見る。

 荻原太一。

 オギワラ?ハギワラ? 

 誰よ?

 タイチ?

 知らないわよ。

 ハサミで封を切って、中身を取り出す。紙は一枚、白い便箋に数行の手書き文字。

 平野 愛菜様

 突然のお手紙で、驚かせたならごめんなさい。同じ部署の荻原です。あなたに、どうしても伝えたいことがあります。もしよかったら、月曜日の午後、会社ビルの屋上に来ていただけませんか?短い時間で結構です。待ってます。

荻原太一

 同じ部署の荻原?

 あれ?

 ルビが振ってある。

 オギハラ、なのか。

 どうしても伝えたいこと?

 何これ?

 私、告られるってこと?

 嘘?

 ビルの屋上?

 いや、待って。

 洋服をむしり取られて素人AVを撮られちゃう?

 十五階立てよ?

 まさか殺しに来るんじゃないでしょうね?

 だいたい屋上って入れるんだっけ?

 なんかとても面倒なものを受け取ってしまった。手紙というのはヤバイ。一方的に送りつけられる。拒否できないじゃないの。今の時代、許されるの?あー、もう面倒臭い。無視しようかしら。SNSなら、既読後にスルーすれば、それが立派な意思表示になる。

 やだー、

 何よ、

 超メンドイ、

 

 屋上?

 ウソーン?

 オギハラ何某とは誰なのか。

 私の職場はミサキ町にある一般商社である。

 かつてこの土地で盛んだった絹の繊維物を流すことがメイン事業だった。ところが絹なぞは、日本の衰退と同じ、下方曲線をたどり全売上の数パーセントのシェアに落ち込んだ。今では、カネになるものがあれば何でも迷いなく取り扱う、プライドを失った、口銭乞食の貧乏商社として、なんとか食い繋いでいる。基本、カネ儲けにはプライドなんてクソ喰らえ。そんな雰囲気が社内に充満してる。

 私は、企画開発室のインターネット部門で会社サイト構築の仕事をしている二十九歳のしがないウェブ担である。

 同じ部署ってことは、企画開発。

 荻原?

 誰だ?

 私は知らんぞ。

 会社サイトに社員の名前がある。私自らが構築したんだ、間違いない。この時代、社員の名を世の中に晒して大丈夫なのか?と私は最後まで抵抗したが、何がカネになるかわからないだろ?社員の名前くらいで、儲け話が舞い込むなら載せるしかないだろうよ、と押し切られた。

 オギハラ、オギハラ、オギハラ…、どこにも無いじゃないの、そんな名前。絶対ヤバい奴、この手紙の主はヤバい。怖い。嫌だ。屋上になんて行きたくない。絶対に行くもんか。行ってたまるか。

 そして私は、誰もいない屋上に立っている。

 十五分も待った。来ないじゃない。どうなってんのよ。これ以上時間が過ぎれば、お昼ご飯も食べられない。空腹、断食状態で午後からの仕事をやれと言うのかよ?一体何なのよ、荻原太一よ、お前ぇ、誰なんだよ。ふざけんな!

 念の為よ、あくまでも念の為に、告られる準備はして来たのよ。日曜日の夜から念入りにパックをして、肌を入念にもみほぐして来た。お陰で乳液の入りの良いことったら、驚くほどだったわよ。マスカラも高い奴をつけたわよ。一応は持ってるのよ。勝負の時にしかつけない高級品なのよ。もう何年も勝負なんかないんだけどさ。下着だって、上下のアンサンブルを着けてるわよ。

 何なのよ、一体この時間は何なのよ。ビルの屋上なんてさ、ドラマの撮影でしか使わないのよ。すんなり入れて驚いたけどさ、なんてセキュリティが甘いのよ。テロに使われちゃうかもよ。老舗の落魄れた商社なんて、スナイパーが居そうじゃないの。それに風が強いのよ。強すぎるのよ。せっかくセットした髪がぐしゃぐしゃよ。セットといっても櫛で解いただけよ。直毛なのよ。

 私の内側は、滅茶苦茶だった。悔しいのか、恥ずかしいのか、みっともないのか、虚しいのか、私には自分の心がわからない。まさか、こんな姿をどっかの窓から隠し撮りされていないでしょうね?ハギワラ?オギワラ?あの野郎め、バカにすんな!

 もう帰ろうと出入り口に向かって一歩を踏み出した瞬間だった。

 ドアがギシッと開いて男の人が入って来た。 

「ごめーん、マナちゃん、呼び出しておいて遅れるなんて許されないよね、本当ごめん!」

 「へ?イチロウさん?」

 私に向かって両手を合わせ、まるで神仏を拝むかのように謝っているこの男性は、企画開発室、広報企画課、インターネット係、係長の、えっと、確か、いや、苗字を忘れた、社内ではイチロウさんと呼ばれている、私の上司、その人であった。

「イチロウさん!?あのッ!?何でここに?」

 やだ、こんなところを見られるなんて!

「マナちゃん、俺の手紙を読んで、ここに来てくれたんでしょ?ありがとね」

「手紙!?で、でも!」


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