人を信じられない。この世界に、安らげる場所はない。いつか、誰かが牙をむいてくる。噛みつかれる。そんな奇妙な確信がある。
人間不信と「居場所を失う恐怖」を抱えたまま生きてきたマユ。友人も趣味もなく、夜はキンドルで本を読むだけの毎日。仕出し屋の職場で出会った同期のイシイは、唯一、彼女が信じられる存在だった。ある日、マユの業務ミスをきっかけに、静かに保たれていた距離が崩れ始める…
#エモチックロマンス
#翌朝ベッドで彼は私のキンドルを手に
#広ヒロスケ

翌朝ベッドで彼は私のキンドルを手に
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通勤バスで、キンドルを読んでいる人を見た。
私と同じ端末だった。何を読んでるんだろう。チラッと見えた画面は漫画のページだった。エッチ系の漫画みたい。私の父親くらいの年齢だと思うけど。どうでもいい。「人間、色々だな」と思うだけ。
私には、父の記憶があまりなく。
それは小さい頃に、両親が離婚しちゃったからで。母は女手ひとつで、兄と私を育てた。大変だったと思う。母は十九歳の時に、妊娠がわかって。いわゆる、デキ婚になりますが。
当時は、まだ、世間から冷たい目で見られたようで。母は、実家から、冷たいあしらいを受けたみたいで。疎遠となり。これはつまり、経済的に困窮する、という意味で。父なる人は。二番目の子ども、つまり私。私が、生まれた後。他所に女性を作って、帰ってこなくなり。一時は、とても悲惨な生活となった。
私は、小さい頃から、ウチが貧乏なことを、どこか恥じていて。家も狭くて。四畳半と六畳の和室が繋がる間取りのアパートで。お風呂の入口が、ベランダの外にある感じの作りで。冬、寒かった。新築マンションに引っ越した友達の家に呼ばれて。現実を認識して。それからは、友達を家に呼ぶのがイヤになって。ひとりで居るのが、気楽になって。
兄のことも大嫌いで。兄は弱虫のくせに、私には威張って。いつもテレビを一人で占領して。時々、叩いたり、蹴ったりされて。弱虫のくせに、乱暴な兄なんか、居なくなれ、と思っていて。私と兄が喧嘩すると、母が泣くので。我慢するしかなくて。
私には、心の落ちつけ処がなくて。いつもなんとなく、公園で過ごす子どもで。そのせいだと思う。私はいつも日焼けで真っ黒になってる女の子で。思春期、中学に入って、自分の醜さを自覚して。悲しかった。
母は、毎朝、毎晩、懸命に働いて。可哀想で。兄はイジケ虫で、引きこもり系のオタク人間で。青白く、ヒョロヒョロで。高校になっても、部活もせず、アイドルのことばっかりで。家では、威張って。
私は、バスケ部に入って、頑張った。だけどあの競技、向いてなかった、私には。背が高くないし、ボールを奪い合う闘争心にも欠ける。ずっと補欠だった。でも他に、居場所も行き場所も無いから。辞めずに頑張った。
高校は、食物科に進んだ。栄養士になって、調理師になって、手に職をつけて、経済的に、自立して。家から、出たかった。兄から、離れたかった。ううん。もっとボンヤリと。貧乏とか、切ない境遇とかから、抜け出したかった。という感じかしら。環境のせいにはしたくない。でも、私。人間が好きじゃない。特に、男性不信の気があります。誰のせいでもない。わかってます。
卒業をして、フードケータリングの会社に就職。私は、献立課に配属されて。日々、栄養価と原価と、メニュー作成と、仕入れに追われた。仕事は、苦しかった。生きるって、大変。母の苦労が、ちょっとだけ、わかった。
三年目に、うちの会社も、ウェブに乗り出そう、ということになり。私は、ただ若いというだけで、ウェブ係にさせられて。ネット出前サービスの仕事をすることになった。お客様からの注文を受ける。時々、電話注文も入る。怖い人、うるさい人、細かい人、やさしい人。人間、色々だなと思う。
その仕事を、一緒にすることになったのは、同期のイシイ君。なんの変哲も無い男性。普通の人。中肉中背。静かな人。私は、これまで男性とのお付き合いをしたことがない。二十一歳の今も。キスすらも、手を握ることすらも。ない。興味がないわけじゃない。でもね。母を捨ててた父。弱虫の兄。そんな男性を真近で見てきたから。かしら。積極的になれない。イシイ君にも何も感じない。
異性として?
ない。
零。
ZERO。
ただ、彼は真面目だと思う。出社時間が、ブレない。責任感が強い。他の男性社員と比べるのは失礼だけど。これだけでも、イシイ君は立派だと思う。
社会に出て、わかったこと。
兄みたいな男性は、案外、普通にいる、ということ。部長は、威張りたいタイプ。課長は、上にヘコヘコで、下にヒヤヤカで。係長は、自分の殻に閉じこもる。決して、彼らがダメだ、とは思わない。それぞれが、苦しそうだから。思うのは、生きるって大変、っていうこと。
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